こんばんは
実は書きかけのブログの文章がいくつかあって、
投稿する時は、書き始めた時点の日時のまま打っているので、
新しい文章が下の方に出てくることがあります。
お手数ですが、完成したら報告しますので、下の方も見てくださいね。
(10月20日の文をupしました。)
さて、
適性試験の講座の折にいつもお話しする話を書きます。
よく、推論の分野の参考文献として論理学に基づいた本を読んだ方が良いですかと質問されます。
実際に、適性対策として紹介され、受験生に多数読まれている本もあります。
それらの本が大変役に立ったと言う合格者の声も聞きます。
しかし、
それらの本を読んで、解ったと思っても、実際の問題処理に使えなかったという受験生や、
読んだために余計ややこしくなってしまったという受験生も多くいます。
彼らの個人的な力不足もあるでしょうが、
果たしてそれだけが原因でしょうか。
読書量も多く、日本語を使える人であれば、それらの本を使用するのも良いと思いますが、
そうでなければ、逆に使用しない方が良いと私は思っています。
なぜなら、日本で教えられている論理学は、そもそも西洋語の論理展開をベースにしていますが、我々が扱う文章は日本語であり、日本語の論理で書かれているからです。
例えば、文構造を取り上げてみると、
日本語S-OC-V。(「。」は絶対に必要です。)です。
それに対して西洋はSVOCが基本です。
日本語は主題や大前提を最初に述べ、次第に話題を限定していき、解明するプロセスを持っているのに対して、
西洋語の場合は、先に主題に関する意見を確定させ、その後に説明していくというスタイルを取ります。
日本語は帰納的で、西洋語は演繹的と言っても良いでしょう。
つまり、
日本語と西洋語の論理展開は異なっているのに、
西洋語で語ることをベースとした論理学が元になっている論理学のテキストを読んでも、
日本語での論理思考に完全に合致しないのは当たり前です。
文章馴れしている人は、
西洋語で作られた論理を日本語の場合に置き換えて理解することが可能ですが、
そうでない人にとっては、置き換えることが困難なため、
そのようなテキストを読むと、混乱してしまうのです。
このあたりの事情は、例えば、加賀野井秀一さんの「日本語は進化する」という文章が解りやすいでしょう。
したがって、私は日本語の論理をしっかり学ぶことがまず必要だと思います。
そのため、よく紹介されている書籍をあまり進める気にはなりません。
独学されている方がいらっしゃったら、
質問していただけましたら、問題処理についてお答えします。